この界隈にいると、よくオジサマ方からこの問いが聞こえてきます。普段高校生軽音楽部員を相手にしている立場から、一つのアンサーを示してみたいと思います。「なぜ洋楽を聞かないのか。」
1)レコード、CDの衰退
脱法アプリ→YouTube→サブスクという音楽視聴体験の変化により、一つの作品を「聴き込む」必要がなくなった。ライトな音楽体験が中心になるのなら、聞きやすい日本語の音楽を聞く。
2)「会いに行ける」価値のクローズアップ
秋元康がこの価値を「見える化」しましたよね。15000円払って年に一度見に行けるかどうかというアーティストよりも、3000円で年4回見に行ける方が良い。
3)「推し」文化
こちらも同じ。「推し活」するなら身近な存在の方が良い。
4)アイドル文化・K-POP
ほぼ2)3)と同じ話ですが。かつては一部のオタク界隈のものでしかなかったアイドルの裾野が広がりましたよね。そちらの裾野が広がった分、アメリカやイギリスの音楽のマーケットが(日本では)小さくなったというか。
5)フェス文化
音楽をライトに聞くようになったという1)に通じる話題。そして「会える」という2)につながる話。一人のアーティストの音楽を20曲続けて聞くライブよりも、興味のあるいくつかのアーティストの曲を8曲ずつ聞ける方がお得。
6)結局プロモーションされた音楽を聞く
「ニワトリが先か卵が先か」の議論にはなりますがーー。そういう時代にあって、もう海外アーティストのプロモーターは勝算が薄いですから、わざわざ海外アーティストでひと儲けしよう、なんて思わなくなりますよね。お金を取れるのは、ガンズに最低でも15000円払える懐古厨の中年のみ。海外アーティストがプロモーションされないなら、そりゃあ売れない。逆にプロモーション戦略に長けているK-POP界隈はちゃんと儲かっている。
7)情報過多
インターネット、SNSの時代。情報が多くなると、個人の周囲に集まる情報が「タコツボ化」するのは、よく言われること。「情報が多い」と「視野が広がる」のではなく「耳障りの良い情報に流れる」。プロモーションされない情報のタコツボができるはずもない。
8)音楽性の変化
これはだいぶ暴論かもしれませんがーー。その昔「タモリの音楽は世界だ」で羽田健太郎が「Bon Joviは演歌」という解説をしていました。80〜90年代の洋楽ヒットチャートからは日本人の好む叙情性が聞こえてきましたが、そういうものが以降後退したような印象があります。安室奈美恵が小室哲哉プロデュースを離れた第一弾の楽曲が「アメリカのプロデューサーを迎えて制作!」という触れ込みだったわりに、聞いたときに「なんだかフックの少ないつまんねえ曲だな」と思ったのをよく覚えています。近年の邦楽の傾向の一つに、「テンション感の強いコードがめまぐるしく変わる楽曲」というのがあると思うのですが、こういうのも一種のガラパゴス化を感じます。でもそういうのが馴染むんでしょうね。
終わりに)
私はギリBO∅WY解散後に音楽を聞き始めた世代ですが、関係なく一生懸命BO∅WYを聞きました。一方今の若者は現在活動していないアーティストへの関心が薄いように感じます。これって、「洋楽を聞かない」理由と同じだと思うんですよね。だから、問いは「なぜ洋楽を聞かないのか」ではなく、「なんでも聞ける昨今なのになぜ古今東西の音楽に触れようとしないのか」なんだと思います。
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